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【タイ移住物語】日系国際線CAからタイ転職した話


2020年1月。コロナウイルスの流行。

大学を卒業し、新卒大手客室乗務員として働いていた私の職業も、全世界へ猛威を振るったパンデミックの影響を直に受けていた。立て続けの飛行機の減便で仕事も減り、自分の将来、キャリアのことを考える時間が増えていった。

「本当に今の仕事のままでいいのかな。」

「私ってなにがやりたいんだろう。」

毎日自問自答する中で、一つの結論へ行きついた。

「やっぱりタイで生活してみたいなあ。」

・・・・


はじめまして!タイ在住のゆみかと申します。

私のタイ移住計画は、この小さな思いから始まりました。

そしてその思いから1年も経たない2020年9月17日、私はタイのスワンナプーム空港にいました。

今日は、【日系国際線CAからタイへ海外転職した話】

ここまでの私の来歴を振り返りつつ、

その中で感じたことやこれからの想いを書きたいと思います。

自分の事をお話しするのは少し恥ずかしいですが、お手柔らかにお付き合いいただければ幸いです。

目次

  1. タイとの出会いと再会のきっかけ
  2. タイ転職までの道のり
  3. 【いざタイへ】現地採用とその後
  4. 振り返ってみて
  5. 最後に

タイとの出会いと再会のきっかけ


私とタイとの出会いは2歳の頃に遡る。

幼少期の8年間をタイで過ごしていたことから、タイは第二の故郷だった。

客室乗務員という仕事を選んだ理由も、大好きなタイと関わりを持っていきたいと思ったからだ。客室乗務員になり、月に1度はタイへいくようになって、タイ人のスタッフやタイ人のお客様と話す機会もすごく増えた。それに伴い、「一度はタイで生活してみたい。」という気持ちは無意識のうちに高まっていた。

そんな中自分の心に夢ができた。

「タイと日本の架け橋のような存在になりたい。」

言葉として口にするには、大分くさい夢だ。

でも、そんなとてつもなく大きな夢を叶えるためにも、

「タイへ行かなくちゃ。」と、直感が言っているのが分かった。

「タイへ行くなら、20代のうち。」

意思が決まると、自分でも驚くほどのスピードで、タイで生活する方法を考えるようになった。

悩んでいてもしょうがない。行動しよう。何かが吹っ切れた瞬間だった。

タイ転職までの道のり


まず最初に思いついたのは、社内の人事異動。

バンコクベースクルー(バンコクを拠点に出発するクルーのこと)へ異動させてもらえないか会社の人事部に相談しにいった。

人事担当からは、「タイ国籍じゃないと、タイベースクルーは難しい。もしくは総合職になって駐在希望を出すことね。」と返答があった。

そんなことしてたら、いつになるか分からない、、。

「分かりました。」

頭をすぐに切替え、【タイ転職】を考え始めた。意思は固かった。

複数の転職サイトへの登録し、タイの情報収集をした。

そもそも自分はタイで働けるのか、どういう生活が待っているのか、どういう職種があるのか。

頭のなかいっぱいのハテナマークを、転職キャリアアドバイザーさんは手取足取り教えてくれた。

ググりながらなんとか履歴書と職務経歴書、英文レジュメを作り終え、キャリアアドバイザーさんとの面談。紹介されるがままに、会社の面接を受けて行った。

  • タイベースの客室乗務職
  • グランドスタッフ日本人対応
  • 空港ラウンジの受付コンシェルジュ
  • 5つ星ホテルのカスタマーサービス
  • 自動車会社の人事職
  • 保険会社の総務職
  • ECサイトの営業職
  • リサイクルショップの店長
  • メーカー秘書
  • 学習塾の数学の講師

思い出すだけでも、20社以上は受けたように思う。

食わず嫌いせずたくさん面接を受けていくことで、

自分の海外(タイ)市場における価値が徐々に分かるようになった。

面接を進めていくうちに、「ぜひうちへ!」と言ってくださる企業も数社見つかった。

何も分からなかったタイ転職だったが、いけるかもしれないと少し自信がもてるようになった。

結局、転職先を日本で決め切ることはせず、複数選択肢を持った上で、タイへ渡航した。

【いざタイへ】現地採用とその後


2020年9月17日のTG643便で、タイへ渡航。

2週間の隔離生活を経て、10月2日よりタイでの生活が始まった。

早速、「職探し」に取り掛かった。

事前にオンライン上で話していた採用担当者と直接お会いし、面接をした。

お話をしていく中で、自分のできることや、将来やりたいこと、どうしても譲れないことを素直に伝え、納得のいく形で転職先を決めることができた。

タイへ来てから、内定先決定まではスムーズだった。

現在私は、在タイ日系企業の秘書として働いている。

95%のスタッフがタイ人だ。

タイ人たちは、日本人たちとカルチャーがことなるので、毎日新鮮だ。

語学も、日本にいた時よりも格段に上達した。

未経験ながらもWeb制作・マーケティングの世界にも飛び込んだ。

幼いころにタイに住んでたとはいえ、鳥かごの中でぬくぬくと育てられた幼少時代と、いま自ら地に足を付けて生活している現在とでは全く環境が異なる。

毎日新しい発見の連続で、忙しくも充実した日々を送っている。

振り返ってみて


いま振り返って、唯一自分自身を褒めるとするならば、

本気でやりたいと思えたものがあったときに、素直に一歩踏み出すことができたということです。

ここまで読んでいただけた読者の方に最後に一つだけお伝えしたいことがあるとするならば、

『周囲の声に惑わされず、自分が直感でいいと思ったことは行動するべき』

ということです。

もちろん海外移住には不安もリスクもあるし、それを無視して突き進もうと言っているわけではないです。

リスクとやりたいことを天秤にかけた結果、自分にとって最善の選択肢だと思えないのであれば別にその選択を取る必要はないと思います。

でも、持てる限りの全身全力を使って導いた結果が「やろうよ!」と言っているのであればそれは勇気を持ってGoです。

自分のやりたい気持ちがあるのに、行動しないまま後悔するだけは絶対に避けてほしいと思います。

最後に


最後に、ありきたりで綺麗事のように聞こえるかもしれませんが、タイへ来て、一番感じたことは周りの人への感謝です。タイへ移住は自分一人でできた事ではないし、多くの人に支えてもらって、今の自分がいることを強く実感しています。

このような記事を書く機会をくださったアジラボのリョータさん、いつも日本から応援してくれている友人たち、新卒でお世話になった航空会社の先輩後輩、転職エージェントのキャリアアドバイザーさん、私を受け入れて下さった転職先の社長、Webマーケ業界で繋がった師匠やクライアント様、そしてこの記事を読んでくださったみなさま一人ひとりに感謝申し上げます。

そして、必要以上に根掘り葉掘り聞くこともなく応援してくれた両親。娘だからこそ、タイへ移住することに120%賛成するよ!とは言えないはずなのに、タイ行きを伝えてからすぐ、大量の日本のインスタント食品と、日本の市販薬が、食卓の上に置いてあったのを見た時には思わず目頭が熱くなったことを覚えてます。(移住する3日前までタイに行くことを黙っていてごめんなさい。(笑))

側から見れば、ひとりの日本人女子がタイへ移住したというだけであるし、事実そうです。

でも、この私の経験が、同じように海外移住を悩んでいたり、一歩を踏み出せない誰かの後押しになればこんなに嬉しい事はありません。

これからも私は第二の故郷であるここタイで、楽しく、自分らしく、生きていきます。

そして、タイと日本の架け橋のような存在になれるよう、これからも精進していく覚悟です。

この先どうなるか分からない少しの不安とワクワクを胸に、この文章を締めくくりたいと思います。

長々とお付き合いいただきありがとうございました。

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