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爆裂無双!KOJIMA列伝 第2回「軽音楽部に反旗を翻した男」

オルターブース代表の小島さんが、ついにYouTubeに登場!

「コワモテだけどめっちゃ優しい」

そんな評価が業界内外から寄せられている小島さんは、まさにオルターブースのアットホームの象徴。

しかしそのコワモテの下には、優しさ以外のものもたくさん埋まっていることはあまり知られていない。

今回はそんな小島さんの知られざる衝撃な過去、ヘヴィメタルに明け暮れた青春時代から、

柔道整復師の資格取得、そしてオルターブースの未来まで、

入社してまもない新藤さん(マーケティング担当)にザクザク掘り起こして頂きました。

(2020年1月14日に行われたライブ配信をもとに再構成しています)

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新藤  怪我で部活ができなくなって、やさぐれ始めたと。


小島  そう。そんで次に出会ったのが音楽なわけです。ありきたりな話かもしれんけど。

    当時バンドブームだったんですよね。イカ天とかさ、夜中までみてて、

    あーおもしれぇな、俺もバンドやりてぇなって思って。

    そこからギターだったり、色々興味が出はじめた。

    うちの姉ちゃんのCDとかレンタル屋のCDとか借りたりして音楽を聴いてたね。

    で、これもたまたまFMラジオを聴いてたら、

    いわゆるヘヴィメタル、ハードロック、それがかかってたんですよ。

    これすげぇ音楽だなって、衝撃だった。

    うちの親父も音楽結構好きやったけど、親父にヘヴィメタルのこと言ったら

    「あるよ、うちに」って、出してきたのが、ジューダス・プリースト。


                              Luis Blanco Press Photographer - Flickr


新藤  (笑)


小島  親父が持ってたレコードに五木ひろしと混じってジューダス・プリーストが置いてあった。


新藤  うちは逆ですね。そういうの聴いたら不良だって言われてた。厳格な家だったんで。

    でもお父さんが聴いていたっていうのはかなりぶっ飛んでる(笑)。


小島  親父はカセットテープにいろんなシングルの曲入れたり、

    ラジオの曲を録音したりして入れてベスト盤も作ってた。

    そこに入ってたのが、オジー・オズボーン。それから洋楽にハマっちゃったんです。


                                 Photo by Alberto Cabello - Flickr


新藤  じゃあ原体験はお父さんが作ってたベスト盤からはじまったと。


小島  もっというと、その前に姉ちゃんがTMネットワークとか米米CLUBが大好きで、

    それにハマった。

    だから、高校に入ってからバンドやりたいと思った。

    高校入学と同時にギターを買ったんですよ。質屋で。


新藤  質屋?


小島  そうそう、千葉の柏にあった質屋ね。今もあるけど。そこで5000円のギターを買った。

    5,000円のギターでもすごい嬉しくて、もうギターばっかりやってたね。


新藤  熱中できるものが見つかったからですね。


小島  正直に言うと、僕って意外と勉強できた子なんですよ。

    だけど音楽にハマって、ギターにハマった瞬間に、学力が一気にガーンっ!で下がった。

    もう滝みたいに(笑)。

    それまで偏差値が65 66だったのが 一気に50とか40になって、

    さすがにやべえなって思って、ちょっと勉強して、

    高校は私立の進学校に行った。学校に軽音楽部があったから(笑)。


新藤  本当に音楽がお好きだったんですね。


小島  そこの私立を受けたら受かっちゃって。軽音楽部は同世代のメンバーたくさんいて、

    まあまあ面白かっただけど、だんだんと物足りなさを感じるようになった。

    だって「軽」音楽部でしょ?。

    僕がやりたいのは「重」音楽部なんですよ。ヘヴィなんですよ。

    ここで重音楽できねぇじゃん!って。

    だからバンドを募集することにした。「俺以外全員募集!」つって。

    そうやってできたのが、自分のバンドだった。


                   (どんどん続きます!)

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