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ブックオフ創業者に見込まれた男が、AIGATEを創業するまでの紆余曲折

数々の事業再生を手掛け、いずれも売上を数倍まで引き上げてきた再生人・竹尾昌大。彼が立ち上げたAIGATEが目指すのは「スーパー再生集団」。当社では、コンサルティングのみならず、フロントオペレーションまで一貫して支援することでスピーディーな事業再生を実現しています。なぜ事業再生という領域を選んだのか。竹尾の創業ストーリーから、事業再生への想いを紐解きます。

【プロフィール】
竹尾昌大(たけお・まさひろ) 代表取締役社長
鹿児島大学在学中に京セラ創業者、稲盛和夫氏が学内開講していた経営塾「稲盛アカデミー」に参加し、多大なる影響を受ける。大学在学中にブックオフ鹿児島を設立し、社長として経営不振に陥っていた鹿児島のブックオフ店舗を数ヶ月間で利益を生み出す店舗に変革、「再生」の成功体験を得る。その後、飲食店、化粧品通販会社等の経営者として数々の企業再建を経験。PEファンドと共同投資した案件では、徹底した現場主義を貫き自らが現場の細部にまで入りこんで迅速かつ果断に課題解決を進めることで、短期間で飛躍的に事業価値の向上を実現、韓国財閥企業へバイアウトした。2018年3月に、自身が企業再建を通じて蓄積してきた再生と成長のノウハウを土台にAIGATE株式会社を設立。


ブックオフ創業者、坂本孝との出会いが転機に

ーー高校時代から起業願望があったと伺いました。なぜ起業したいと思ったのですか?

実家が商いをしていたからです。父はもともと自動車の販売店で働いていたのですが結果が出ず、私たち家族は貧しい暮らしをしていました。そんな生活を変えたかったのか、ある日、父は脱サラして日本舞踊の小物を取り扱う店を始めたんです。すると商売は見事に成功し、私が小学生の頃には周りの家庭よりうちは裕福になっていました。

成功した父の姿をみて、「大学を卒業するまでに起業しよう」と思い、大学3年の頃に、京セラ創業者の稲盛和夫さんが学内開講していた経営塾「稲盛アカデミー」に参加しました。そこで、当時稲盛さんの門下生だったブックオフ創業者の坂本孝さんに出会ったんです。

坂本さんは講義の中で、大学を卒業してすぐ一軍に入る野球選手を引き合いに出し、「なぜビジネスの世界では大学生が一軍になれないのか分からない。可能性のある若者に起業のチャンスを与え、ビジネスの体育会系をつくりたいんだ」と、おっしゃっていました。

それを聞いて講演後すぐ、「僕にチャンスをください」とお願いしたところ、坂本さんから「まずはうちで働きなさい。その結果次第で、君へ出資するかどうかを決めよう」と言っていただきました。


赤字店舗を数ヶ月で再生。「あのとき逃げなかったから今がある」

それから厳しい下積みが始まりました。毎日怒られながらブックオフで働き、ようやく坂本さんに「そろそろ起業してみるか」と言っていただけたのが、半年後のこと。しかし念願の起業の許可をいただけたのに、どんな会社を立ち上げたいのか、当時は自分でもよくわかっていませんでした。

すると坂本さんからこんなアドバイスをいただきました。「やりたいことがわからないなら、まずは経営不振のブックオフを再生してみなさい」」と。そこで私は出資いただいたお金で業績不振のブックオフ鹿児島を買い取り、経営者として事業再生に乗り出したのです。

ーーどのように事業を再生させたのでしょうか?

まずは同じようなロケーションのブックオフを何店舗か研究し、三つの対策を実施しました。

一つ目は、品数の倍増です。本棚の高さを倍にして店舗の在庫量を2.5倍に増やすことで、豊富な品揃えをアピールしました。

二つ目は、駐車場の拡張です。鹿児島は車社会にも関わらず、それまでブックオフ鹿児島には駐車スペースが3台分しかありませんでした。そこで、駐車スペースを30台分まで拡張し、遠方から車でいらっしゃるお客様のニーズに応える環境をつくったんです。その結果、回転数も大幅に改善されました。

三つ目は、スタッフのオペレーションスキル向上です。中古買い取り販売業の売上は、買い取ったものをどれだけのスピードで棚に並べて売ることができるかが全て。私も先頭を切って現場に入り、オペレーションスキルを引き上げていきました。

結果的にブックオフ鹿児島の売上は数ヶ月で2.5倍になり、「ビジネスモデルやサービスが同じでも、やり方や人を変えるだけで事業は変えられる」という成功体験につながりました。

ーー初めての起業にも関わらず、素晴らしい成果ですね。

もちろん最初は苦労の連続でしたよ。もともと毎月200万円ほど赤字を出す店舗だったので、何度もキャッシュが底をつきかけました。いっそ逃げようかと悩んだほどです。

でも、店舗スタッフたちは諦めずに一生懸命でした。そんな中、「自分だけ逃げるわけにはいかない」と思い踏ん張ったおかげで今がある。もしあのとき逃げていたら、全く違う人生になっていたでしょう。


29歳を目前に、70億円企業のNo.2に

ーーブックオフ鹿児島を再生した後はどのようなキャリアを?

坂本さんに付いてブックオフの業務を手伝っていました。役員会への出席や上場、新卒採用など、さまざまな経験させてもらいました。

他にも、大戸屋の店舗や家業のEC運営など、いろんなことに手を出してビジネスが楽しくて仕方ない時期でしたね。

ただ、坂本さんが退任されたのを機に僕もブックオフを辞めて鹿児島に戻ったんです。その後、半年ほど無職生活を送ったのちに、知人の紹介で化粧品会社に入ることになりました。

ーーなぜ化粧品会社だったのでしょうか?

1を10にするFCモデルに関してはある程度学び、結果も出してきたので、次はゼロイチで新規事業を立ち上げる経験がしたかったんです。知人の化粧品会社では新規事業の立ち上げができると聞いたので、化粧品の知識はゼロでしたが入社しました。

しかし、なかなか新規事業に携わることができず……半年ほど経って辞めようと思っていました。すると会社は焦ったのか、休眠顧客向け担当のマネージャーに抜擢されました。

会社の期待に応えるべく私も必死に働き、データベースの分析などいろいろと工夫したことで圧倒的な数字を出すことができました。すると既存顧客やコールセンターなども任されるようになり、29歳を目前にして70億円企業のNo.2に抜擢されました。

ーーその後はどうのようなキャリアを?

30歳になったタイミングで化粧品会社は辞め、中国でのビジネスに挑戦していたのですが、香港ファンドの方から話をいただいてR&Y(現・銀座ステファニー化粧品)の再生に携わることになり、周囲の手を借りながら2年で売上を10億円から70億円まで拡大することができました。


目指すは「スーパー再生集団」、そしてIPOへ

ーーそこからどのような経緯でAIGATE創業に至ったのですか?

事業再生を繰り返していて感じたのは、外部の人間が入り込んで改革しようとしても、上層部と現場との板挟みになって変化のスピードが遅くなるということ。それなら、広告やコールセンター、物流といったオペレーションを全て自分でディレクションしたほうがスムーズだと気づいたんです。そこで、それぞれのオペレーションカンパニーを若手に作らせ、全てを私がディレクションするという形で事業を行うようになりました。

それをきっかけに既存の会社を統合して生まれたのが、AIGATEです。当社が創業3年目で400名近い社員を抱えているのは、既存の会社を統合しているからなんです。

ーーこれまで一貫して事業再生を行ってきた理由を教えてください。

ゼロイチより、誰かが作った1を100にするほうが面白いからです。組織というのは結局、トップや組織構成が変わらないと良くならない。しかし、やり方によっては働く人たち一人ひとりのパワーを引き出し、全体のパフォーマンスを上げることもできます。様々な問題を抱えている会社であっても改善できる要素があり、私たちの支援によって変わっていく様をみる面白さもあって、オペレーションまで踏み込んだ再生事業にこだわっているんです。

ーー最後に今後の展望を教えてください。

私が目指しているのは、一人当たりの生産性が高い組織。最終的にはAIGATEを「スーパー再生集団」にしたいと思っています。そこに向けてまずやるべきことは、M&Aによる事業再生。AIGATEを創業したときのコンセプトは「私が一人でやってきたことをみんなでやる」でした。みんなで再生事業に取り組むべくIPOで資金を集め、集まった資金をM&Aに使う予定です。

もう一つ、採用にも注力したい。当社が求めているのは、いろんな企業の再生に行くメンバー。あらゆる顧客にハンズオンで入り込み、事業を再生できる。そんなポテンシャルを秘めた人材に出会えたらと思っています。ただ闇雲に社員数を拡大するつもりはありません。こんな私たちに興味を持っていただけたなら、ぜひ一緒にさらなる高みを目指しましょう。


(取材・文:矢野由起)

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