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西新宿物語 第1章「家じゃないよ、オフィスだよ!」アドウェイズ、壮絶ドタバタ転居とサービスを振り返る


2018年で、アドウェイズは創業から18年を迎えた。その間、東証マザーズ市場への上場や海外進出なども経験。もちろん、いいことばかりではなかったけれど、いろんなサービスをリリースしたり、組織も拡大したりして、それなりに成長してきたと思う(手前味噌だが)。端から見れば、もしかしたら「大企業」なのかもしれない。「大企業」でないとしても、「中堅企業」くらいにはなれているのかもしれない。

しかし、私たちは「あの日」のことを忘れてはいけない。

……2000年、新大阪駅のほど近くにある代表・岡村の自宅でアドウェイズが産声を上げた「あの日」だ。過去が今をつくり、未来へと繋げていくことを忘れないためにも、ここにアドウェイズのこれまでを刻んでおきたい。

はじまりの場所。それは、代表 岡村の自宅だった

アドウェイズを語るうえで欠かせないのが、「アドウェイズエージェンシー時代」だ。

今も昔も愛してやまないサイバーエージェントへ入社すべく、岡村は合計3回も中途採用に応募したが見事に3回とも不採用。「だったら自分で会社を起こせばいいんだ!」と一念発起し、起業。オフィスは岡村の自宅、従業員は1名(岡村を含めて2名)という体制ながら、メルマガ広告事業をスタートした。幸いなことに、初年度売上高は1億5,000万円ほど。……まずまずの結果だった。

当時は、夜10時から翌朝までがインターネット使い放題で料金も安いというテレホーダイが主流だったため、「深夜に働き、昼間は寝る」という今とは真逆のライフスタイルだったことを付け加えておこう。

翌年2月、いよいよアドウェイズを設立。なぜ社名が「アドウェイズ」だったか。それは、当時からSEO対策に注力していて「ア」もしくは「A」から始まる社名にしたかった事がきっかけだ。4月にはインターネット広告配信サービス「Adways Network」を、8月にはモバイル版を提供開始。オフィスは岡村の自宅から、新大阪駅近くのビルへ移っていた。新幹線の音が大きすぎて、電話口の声が聞こえなかったとか……。


従業員も徐々に増え、15〜20名規模に。無名の零細企業だった私たちが、なぜ採用できたのか。それは地道な努力の積み重ねに他ならない。当時利用していた求人媒体は、情報を更新すると上位表示されるというシステム。岡村は分単位で求人情報を更新し、応募があったら瞬間に連絡をとるという作戦をとっていた。作戦の甲斐もあり、一定数の応募者を確保することに成功。現在活躍している社員のなかにも、この岡村の作戦を通じて入社した者もいるほどだ。入社後のミスマッチを生まなかったという意味でも、かなり有効な手法だったといえるだろう。

今や社員に大人気となっている社内炊き出し制度「岡村屋」が誕生したきっかけもこの頃だ。当時は給料だけではなく休日も少なかったため、社員が社員のために料理をつくる文化があった。お腹を空かせた社員たちは、その手料理で心と体を満たし、仕事に打ち込んだという。

そんな部屋の片隅で、岡村が取引先の社長からもらった愛猫「ロロちゃん」が我関せずといった表情で大きなあくびをしていた。



「東京にオフィスを借りた方が早いんじゃね?」

設立当初は「インターネット企業はパソコンさえあればどこでも働ける」と考えていたが、顧客の母数は圧倒的に東京のほうが多く、メンバー全員が1台のワゴン車に乗り、毎週のように東京へ車を走らせていた。そんなある日の帰り道、東京出張に疲れ果てた岡村がある事に気づいた。「東京にオフィスを借りた方が早いんじゃね?」

……満場一致で東京進出が決まった瞬間だった。

東京の拠点として決めたのは元浅草。6畳1間のワンルーム。大人4人がギリギリ働ける広さであった。2002年6月、東京拠点のメンバーに選ばれた岡村を含む4名は、「俺たちはこれから、東京、日本、そして世界というフィールドで戦っていくんだ」と互いを鼓舞しあったという。

その後、彼らは寝る間を惜しんで働いた。自宅も借りず、深夜を過ぎた頃、オフィスに布団を敷いて仮眠を取り、日の出よりも先に動き出していた。この6畳1間のオフィスでは、新卒採用の面接も行なっていた。当時、面接を受けた社員は小さなワンルームで「これから世界を目指す」と豪語する岡村を見て、「これ以上悪くなることはないだろうな。ということは、これから伸びていくしかない……!!」と感じ、入社を決意。誤解を恐れずにいうとギャンブルのようなチャレンジではあったが、現在はグループ会社の代表を務めているというから驚きだ。

売上、従業員数共に規模は確実に拡大。名残惜しくもあったが6畳1間のワンルームを離れることになった。移転先は東京台東区近くの雑居ビル。ここでは、アドウェイズにとってターニングポイントとなる様々な出来事が起こった。


まずはサービス開発。2003年8月に、年次の浅い1〜2年目の若手を中心に「Adways Network」をバージョンアップ。アメリカのビジネスモデルをもとに、約2ヶ月で「JANet」をリリース、2004年2月にはアフィリエイト広告サービス「Smart-C」の提供を開始。勢いのまま、本社機能も東京に移した。

ところが、移転から1ヶ月後、雑居ビルのオーナーが、本来1社にしか渡してはいけない賃借権を10社に譲渡。10社から賃料請求されるという事件が勃発(その後、10社で話をしてもらい、事なきを得た)。また、ビル内にオーナーが不在のため、各階の光熱費をアドウェイズの社員が計測し、電気会社に報告するという新たなミッションを抱えることになったことも忘れてはいけない。



そんな移転時のトラブルの中でも、業績は好調。採用活動も積極的に行なわれていた。しかし、雑居ビルの雰囲気にのまれ、入社意欲が低下してしまう人が多く、採用活動は困難を極めた。それでも「入社したい」と言ってくれる人は、即戦力として採用。新卒メンバーも入社当日にPC1台が支給され、「仕事をしながら仕事を覚える」という独自のスタンスで業務に取り組んだ。上京して入社する社員の寮があったり、飲み会も多かったので、業務時間以外で仕事の相談をしあう社員も多かった。当時としては新しかった「公私を分けない働き方」をいち早く実践していたといえるだろう。

“俺は家に風呂がなくても会社さえあれば良い”上場企業の社長が風呂なし4畳半暮らし

2004年9月、雑居ビルから住友不動産上野ビル8号館へ移転。今ではオフィスに欠かせない存在となっている“会議室”が出来たのもこのときからだ。



従業員規模は25〜30名前後とさほど変わっていなかったが、業績は違った。「JANet」と「Smart-C」が好調。若手社員たちがリーダーシップを執り、右肩上がりに売上を上げていった。業績がぐんぐん上がっていくため、社内で働くエンジニアも大忙し。サーバやシステムのメンテナンスに明け暮れていた。

多忙な毎日だったが、決して消耗戦だったわけではない。社員一人ひとりの心を突き動かす大きな目標があった。

……上場だ。上場をひとつのマイルストーンとし、目標数値を設定。達成すればメンバーが一体となって祝う光景が頻繁に見られた。確かに在籍する社員の肩書きは、営業、エンジニアとさまざまだったが、まるでオフィス全体がひとつのチームかのような一体感があった。目標達成以外に、社員の誕生日をお祝いするイベントがスタートしたのもこの時期だった。



オフィスの移転と上場準備は、採用活動においても有効だった。特に新卒採用は大成功。彼らは他の会社で働く友人から得た情報をもとに社内改善案を積極的に発信するなど、新しい風をもたらしてくれた。その結果、従業員数は800名規模へ急拡大。アドウェイズは新たに、西新宿の住友不動産新宿オークタワーへ拠点を移した。そして……



2006年6月、東証マザーズへ上場!岡村は26歳。当時、史上最年少社長での上場だった。

古株の社員たちは、東証まで足を運び、これまで共に歩んできた仲間たちと共に喜び、讃えあった。

ちなみに、史上最年少社長の上場審査は、史上最長期間を要した。

紆余曲折の末、実現した上場。順風満帆にいくかと思いきや、2006年6月またも事件が起きた。アドウェイズでは「07(ゼロナナ)ショック」として語り継がれている出来事だ。

当時の主要顧客は、金融関係。ところが、上限金利が30%から20%に引き下げられたことをきっかけに広告費が半減。それに伴い、アドウェイズの売上も急降下してしまう。しかも、翌年には150名ほどの新卒社員を採用予定。赤字は一気に拡大し、ベテラン社員がアドウェイズを去る事態に。

新規事業の撤退、社内体制の改善、そして役員報酬カット……できることはすべてやった。その結果、岡村は家賃が払えなくなってしまい、やむなく引っ越すことに。引越し先は家賃3万円。風呂なし、共同便所の4畳半だった。

岡村をはじめとする役員たちの覚悟、そして社員たちの血の滲むような努力の結果、業績は1年ほどで回復(業界で「アドウェイズの岡村は4畳半に住んでいる」という噂が広まり、岡村は引っ越すに引っ越せないまま2年半ほど過ごす)。その後、大阪、名古屋、福岡といった全国主要都市への支社を展開、海外展開、M&Aなどを次々に実現した。



そして、2010年11月、スマートフォンアプリ向け広告サービス「AppDriver」が産声をあげた。

そして、今

2011年から2012年にかけては海外進出を強化。韓国、台湾など東アジアを中心に世界各国へ進出を果たした。同時に、M&Aや子会社設立なども加速。企業としての基盤を一層堅固なものにしていった。

2013年には、新サービスを続々リリース。リリース前の新作アプリ事前予約できるサービス「予約トップ10」や、全世界対応のスマートフォン向け効果測定システム「PartyTrack」などの提供を開始した。そして、2014年ついに現在の住友不動産新宿グランドタワーへ移る。



新たにオフィスを構えることになったのは、住友不動産新宿グランドタワーの38階。眼下には都庁や新宿中央公園、そして高層ビルといった新宿副都心の絶景が広がる最高のロケーションだ。もちろん、特筆すべきはロケーションだけではない。インテリアにも徹底的にこだわり抜いた。インテリアのデザインコンセプトは「和」。海外進出が加速するなかでも「サービスの原点は日本にある」ということを忘れないため、そして来社するゲストへのおもてなしの気持ちを込めた、「義理と人情」をコンセプトにしたのだ。執務スペースやリフレッシュルーム(オフィス移転後も「岡村屋」は、不定期でリフレッシュルームに現れ、仕事に邁進する社員の胃袋と心を満たしている)、会議室はもちろんのこと、床から天井まで、コンセプトを貫いたオフィスは話題になり、メディアの取材を受けることもあった。家がオフィスだった時代から14年。アドウェイズは、ようやくここまで来ることができたのだ。




現在のオフィスへ移ってからも、成長スピードは決して落ちない。

新サービス(運用型広告対応プラットフォーム「STROBE LIGHTS」、モバイルアプリ向け全自動マーケティングプラットフォーム「UNICORN」など)をリリース。さらに、インドへの進出、M&A、株式会社おくりバント、株式会社アドウェイズベイビー、株式会社アドウェイズ・フロンティアといった子会社設立などを積極的に実現しながらも、今も変わらず全力で走り続けている。



子会社で触れておきたいのが、アドウェイズベイビーだ。なんと、役員は全てアドウェイズで働く社員の子どもたち。事業内容は、「アドウェイズで働くパパママたちをサポートする」というものだ。具体的には、役員たちの親、つまりアドウェイズのパパママ社員たちが監査人となり、岡村、そしてアドウェイズベイビーの会長 大牟田と議論しながら、結婚、出産などのライフイベントを迎えた社員たちの生活に寄り添った働き方を模索し、実践していく。これまではどうしても目先の業績に意識が注がれがちだったが、社員とその家族のための取り組みが着実に生まれ始めている。アドウェイズが新たなフェーズへと突入しているのだ。

過去を否定するつもりはない。あのときがあったから今がある。そしてこの約20年が、新たな未来をつくっていくことを願って締めくくりたい。

~完~

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そんなアドウェイズでは、中途採用を積極的に行っております!

どんなに会社が大きくなっても、サービスをたくさんリリースしても、止まる事なく全力で走り続けるアドウェイズで働きたいという方、是非ご応募お待ちしております!

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