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米国でPh.D. その長く険しい道のり。私はこうして生き残った【朝会レポート】

ABEJAには、朝会という時間があります。始業時間(10時)から5-10分、メンバーが日替わりで前に立ち、思い思いに話します。お題は自由。中には「ほぉ」「へえ」な内容も。興味深いものをご紹介していきます。

12月5日の朝会スピーカーは、Insight for Retailで動線分析を担当する今井繁さん。

アメリカの大学院(Rensselaer Polytechnic Institute, 通称RPI)でコンピュータサイエンスの博士号を取るまでの、その厳しい道のりを振り返り「どのようにPh.D.を生き残るか」と題して、語ってくれました。


今井:「博士」は、その学術分野の最高学位です。日本では「足の裏の米」(取らないと気持ち悪いが取っても食えないという意味)と自虐的に呼ばれたりしていますが。

取るまでのプロセスをカンタンにいうと、こんな感じです。

1論文読んだり実験したりしながら特定の分野に詳しくなる。
2問く価値のある研究課題を見つける。
3その課題を解く
4成果を博士論文にまとめ提出。指導教授たちからの突っ込み(反論)に切り返して自説を守り通す(ディフェンス)

ーーを経て、認められたら博士号を取れます。

全部のプロセスがだいたい4-5年かかります。10年かける人もいます。自分は6年でした。


博士課程は甘くない。教授からの「クビ」宣告も。

1,2で脱落する人、割と多いんです。
この序盤のプロセスは、膨大な論文を読んで、博士論文のテーマにするだけの価値ある「問い」を見つける作業なんですね。地味ですが本当に大変です。「問題提起がプロセスの半分。解くことはむしろ『ご褒美』だ」なんていう人もいるくらいです。

僕の場合、提起する「問題」をみつけるのに3年以上かかりました。苦しくて、途中であきらめようかと思ったこともあります。でも、3年が無駄になる。そこで研究トピックを変えたら半年ほどで見つかった。「これでいける」と、ホッとしました。

指導教授からのプレッシャーもあります。
彼らは、あちこちから研究資金を集めてラボを運営しています。でも、10個くらい応募して1個採用されればいい方です。四苦八苦して集めた資金から研究に励む学生に「給料」を払います。そのぶん、博士課程の学生もたくさん論文を書かなければならない。人によりますが、だいたい年2-4本の論文を書きます。

僕の指導教授によると、博士課程の学生やポスドクをラボに1人置くのに1000万円かかると話してました。「君のファンディングはいついつに切れるから、後はティーチングアシスタント(TA)をやって稼いでくれ」なんてことも言われました。

博士課程に入れても実際に博士号をとれる率は低いです、僕がいる間に8人学生が博士課程に入ってきましたが、いまも残れているか、博士号をとれたのは3人です。

成果が期待を下回ると、研究室にはいられなくなる。教授に「君はうちのラボにはもういられない」と宣告されて終わりです。米国の大学院は学費がすごく高い。RPIだと年間$55,000ほどします。自分で払う選択肢はほぼないです。だから博士課程の学生の95%はファンディングやTAの仕事で給料もらって勉強を続けています。


博論にウィキペディアから盗用、退学の学生も。

不正に対しても半端ない厳しさでした。プログラミングの宿題を複数人でやってはいけない。もしやったら、見る人が見れば分かる。バレてクラスを落とされた生徒もいます。
友人の一人が提出した博士論文で、序論の一段落、ウィキペディアをコピー&ペーストしたことが判明して、退学させられたこともあります。4年間の努力が一瞬にして水の泡です。

そんななかで、僕なりに頑張ったことを。

まず「締め切りを守る」。指導教官は「未完成のレベルでも締め切りに合わせるべき」という考えでした。あとは毎週のミーティングで、なんらか成果を持って行きました。たとえ小さなことでも。そういうことを続けていると信頼関係が生まれて評価が上がるし、やる気も増すというポジティブなループが生まれます。

あと「英語」。討論、プレゼンテーション、TAと場数を踏まされました。
TAが特に大変。オフィスアワーで学部生の宿題のフォローをしてたんですが、僕がいた大学の学部生は、ノンネイティブの英語に慣れていない。しかもコンピューターサイエンスを始めたばかりの学生です。専門用語を英語で分かりやすく教えるのが大変でした。

場数を踏むうち、開き直って伝わればいいと気にしないことにしました。あと、研究ディスカッションでは、事前にしっかり資料を用意しました。

もちろん、気分転換も。友達(留学生)と遊んだり、2年目に結婚しまして、そこで精神面でもサポートしてもらいました。


在米8年、ついに博士号......!

そんなこんなで6年目、無事に論文が通り、その年同じ学科で博士号をとった学生の中から一番優れた博士論文に与えられる賞もいただきました。

卒業のパーティーで指導教官であるCarlos Varela教授(右)と=本人提供

修士時代も入れたら在米8年。そのまま米国で残ることも考えましたが、1年母校でポスドクをした後、AIの世界に飛び込んでみたいと思いABEJAに来ました。

アメリカで博士号とるなんて雲の上の話。留学前はそう思っていました。でも実際に入ってみると、研究の型、指導教官とのやりとりはこんな感じかとわかってきて、日本の学生も十分博士号をとれる可能性はあります。博士号はある意味、その世界を広く泳ぐためのライセンス。可能性が広がるので、ぜひチャレンジしてみてください。

(2019年12月6日掲載の「テクプレたちの日常 by ABEJA」より転載)

米国でPh.D. その長く険しい道のり。私はこうして生き残った【朝会レポート】|テクプレたちの日常 by ABEJA|note
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https://note.com/abeja/n/n8ff6c322b83e
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