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在り方を問い続けて、Hajimariに意思決定した理由

初めまして!22卒内定者の佐々木 愛瑠(ささき える)と申します。

突然ですが、
” What is your being? ”=あなたは、人生を通してどんな自分で在りたいですか?
私には、人に打ち明けるのには少し勇気がいる暗い過去があります。なんのために生きているのか分からず過ごした時期が長く続き、この言葉を何度も何度も問い続けていくなかで、自分の指針となる”在り方”を見つけました。

あなたの守りたいものは何か。あなたの変えたいものは何か。あなたの想いが在り方になります。

この記事では、タイトルにあるように「在り方を問い続けて、Hajimariに意思決定した理由」について、私の過去から遡ってお話ししていきます。読んでくださったみなさまにとって、ちょっと先の未来にワクワクできるきっかけになったら嬉しいです。拙い文章ではありますが、どうぞ最後までお付き合いください!

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【本日のアジェンダ】
0. はじめに
1. 毎日死にたいと思っていた10歳の私
2. 生きがいを求めてもがき続けた6年間
3. どん底からの再起とビジョンの確立
4. ビジョンに向かって走り出した大学生活
5. 在り方を問い続けて、Hajimariに意思決定した理由

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0.はじめに

簡単に私の自己紹介をすると、76年続く美容師の家系に生まれた3人兄弟の末っ子で、青森県三戸町という、毎朝鳥の鳴き声で目覚めるレベルのど田舎で育ちました。🍎

下の写真にあるように、だいぶ愉快な兄とともにやんちゃな幼少期を過ごしていました。好奇心旺盛で「これなぁに、これ!」が口癖で、目に見えるもの全てがキラキラして見えた幼少期でした。

ここから私の人生のストーリーが始まっていきます。

ご覧の通り、私のモチベーショングラフは、見事に「N字」を刻むほど、10歳〜12歳が人生のなかで、どん底期でした。(言ってもまだ人生22年目なのですが😅💦)少し暗い話も挟みますが、現在の”在り方”に繋がる大きなターニングポイントになっているので、お付き合いいただけますと幸いです。

1.毎日死にたいと思っていた10歳の私

とっても文化系の私。小学校のお昼休みは、読書かピアノを弾いていることが多かったです。とにかく音楽が大好きだったので、小学4年生からは吹奏楽部に所属しておりました。

(3歳のピアノの発表会の写真です。🎹 確か、楽曲は『星に願いを』だった気がします。)

毎年全国大会へ出場するほどのマーチング強豪校で、平日は水曜日以外の週4日放課後の16:00~19:30、土日は12:00~19:00とまるまる午後が潰れるくらいの練習量と、体育会並みの筋トレを始めとした体力づくりなど厳しい環境ではあるものの、大好きな音楽に浸っている時間は私にとって幸せな日々でした。

マーチングに出会い、新たな音楽の面白さに感動する毎日だったのですが、小学5年生の秋からが私にとっての地獄の日々が始まりでした。

マーチングは1人でも欠けるとすべてのフォーメンションやサウンドに大きな影響が出るため、どんな理由でもメンバーが欠けることは許されません。私は、全国大会出場が決まる東北大会数日前に体調を壊し、40度を超える熱を出しながら大会に出場したことで、体調が悪化し肺炎で1ヶ月間ほど入院してしまいました。

全国大会に向けて、リハビリをするものの、肺機能の回復が遅く筋力もかなり落ちていたので、退院後もなかなか部活に参加できませんでした。そのため、楽器が吹けない分、チームのために今できることを精一杯やろうと決意しました。

楽器が吹けない期間は、サポートを徹底し、人1倍、いや2倍を目指して練習の効率化をはかりました。直近の全国大会は楽器が吹ける状態ではなかったので、打楽器を1から習得し、全国大会に向けて練習に励みました。立っているのが精一杯なくらいに筋力が落ちていたので、頑張ろうと思い始めた打楽器もなかなかうまくいかず、顧問にも怒鳴られながら練習する毎日でした。

次第にメンバーからも無視されるようになり、大親友と言えるくらいに仲が良かったメンバーにも「いてもいなくても変わらないポジションなんだから、居なくて良いよ。」や「死んだら?」と冷たい言葉や身体的な暴力を振られたこともありました。そんなこんなで、部活の時間になると謎の過呼吸と吐き気に襲れ、定時に部活にいけなくなりました。

そんな日々が半年間続き、精神的にもかなり参ってしまい、ご飯の味もしなくなり次第に人前で笑えなくなりました。それでも「チームのためにやり遂げたい」「楽器を吹いてあの舞台にもう一度立ちたい」と思い、精神的にも身体的にも弱っているなかでリハビリにつとめました。結果的に元々のフレンチホルンのポジションで全国大会に出場し、卒業までやり遂げました。

そして、卒業公演の日。顧問は今までの私の状態やメンバーからの1年間半に渡るいじめなどの事実をおそらく知っていながら、大勢の前で最後にこんな言葉を私になげかけました。

「お前が掴み取った金賞じゃないんだから、一生みんなに感謝し続けた方がいいよ。」

あ、人間ってこんなにも残酷な生きものなのか。こんなに苦しいなら、感情なんて捨てたい。そう思いました。

2. 生きがいを求めてもがき続けた6年間

小学校卒業後、地元から少し離れた中高一貫校に進学しました。環境はかわり、いじめからは解放されたものの、熱中しても心が埋まらず「頑張っても頑張っても上には上がいるなら、私はなんのために生きているのだろうか。私にしかできないことってあるのだろうか。」と自己肯定感がなかった私はびっくりするほどネガティブになっていました。

社会に対して何も価値を発揮していないことが本当に怖い。生きがいが欲しいと毎日思っていました。目標を達成しても、何をやっても心が埋まらない。そんな感触がありました。

3. どん底からの再起とビジョンの確立

こんな時期が長く続き、高1の冬、文理選択の時期がやってきました。自分が生きがいを探し続けていたのと同じように「やりたいことがわからず苦しい」と感じている人ってこんなにも沢山いたのか💡と気づきました。

「起床→学校→部活→帰宅→宿題→就寝」のような毎日同じルーティンのなかで生きていると、本当にやりたいことや将来の夢なんて見つかるほうがすごいなと思ったことで「じゃあ、学校の外の世界を見に行けばいいじゃん!?」と思うようになりました。

それからは、毎週末は必ず地元のNPOのボランティアや起業家などの夢を持って活動する大人へインタビューをしにいきました。自分が学校の外に出たことで「こんなにも面白い世界があったのか。〇〇×〇〇の無数にある自由自在な掛け算で社会ってもっとよくできるじゃん!?」と幼少期に漠然と社会に抱いていたワクワクが蘇ってきました。

〇〇×〇〇

組み合わせは自由自在だからこそ、オンリーワンな私になれる信じる道を進んでみよう!

何が一番ワクワクするかな?と問い続け、人間不信だった自分が変わり始めた「ビジネス×教育」の領域で社会のために何かしたい!それが自分の生きる意味だ、と思えるようになりました。

「ビジネスと教育の乖離を解決して、自分の好きなことで社会に貢献できるような代替されない人材を育成したい!」

これが、私の人生をかけて成し遂げたいビジョンです。やりたいことって「見つかる」ものではなく、自発的な行動の先で「気づくもの」だと私は思っています。やりたいことやなりたい像って急に天から降ってくるものではないし、あったとしても確率的に低いんじゃないかなぁと思ってます。悩んだときには、今すぐにでも行動を変えることが大切です。就職活動もこれと同じ考えだと思うんですよね。

4. ビジョンに向かって走り出した大学生活

このビジョンに向かって、大学4年間は私にとってかけがえのない時間になりました。人間不信で、仕事でも最低限のコミュニケーションしか取りたくないと思っていた私が、前向きに人を信じて、自分から歩み寄りたいと思うようになりました。

人生には無数の在り方がある。あなたが変えたいもの/守りたいものはなんなのか?という想いとそこに向けた自発的な行動が未来のあなたを作っていく。だからこそ自分の意思で信じる道を切り開いて欲しい。そんな想いで、走ってみました。

・小学生〜中学生の活動機会を広げる「こども食堂PJ」
・地方の高校生と地元を愛し、外に視野を広げる「地方創生PJ」
・高校生に向けて、目標や夢の叶え方を模索するキャリア教育
・高校生のための在り方を考える塾でのコンピテンシーの醸成
・自分の足で人生を歩む人を増やす、新卒支援

このような活動を通して、自分の人生で大切にしたい指針(在り方)がたくさん見つかりました。そんな私だけの人生の教科書を、これからも1ページ1ページ刻んでいきます。

5. 在り方を問い続けて、Hajimariに意思決定した理由

1度はどん底まで落ちた時期もありましたが、ビジョンが確立してからはモチベーショングラフが右上がりに伸び続けています。今思うと、過去の辛い経験も私を作る一部として愛せる気がします。Hajimariに入社すると決めた理由も、在り方を問い続けてきた先にありました。

「ビジネスと教育の乖離を解決して、自分の好きなことで社会に貢献できるような代替されない人材を育成したい!」

このビジョンに向けて、人生ABCどの道を歩みたいかなと自分に問い、意思決定しました。

A .そもそも就活する?このまま塾を大きくするとかでもいいよなぁ。
B. 今までの活動もこれからの仕事もどちらも両立できるような場所にいく?
C. 5年で自分の人生のなかでもビジネス戦闘力をmaxにできるような修行をする?

私が出した答えは「C」で、特に以下の3点を大事にしており、最短最速で自分のビジョンを達成できる可能性を感じたHajimariに入社することを決意しました。

①自分の成長に応じてキャリアを切り開ける環境

OKRがマネージャーと自分に属人化されていて、良い意味で新卒の基準がないからこそ、どれだけ自分が仕事にこだわりを持つかによって面白い景色がみられる場所であること。

②仲間の視座の高さ

ビジョンドリブンな会社だからこそ、組織としての目標達成に熱を燃やしながらも、個として自立し何かしらの自分の野望を持っている人が多い。

③20代での圧倒的成長

①にも重なりますが、社員の基準がないからこその、プレイヤーとして打席にたつ速さと意思決定の量と質。Hajimariのこれからの展望と5年でキャリア教育事業を立ち上げたいという自身の目標の一致。

これが、私が「在り方を問い続けて、Hajimariに意思決定した理由」です。

将来やりたいことって「見つかる」ものではなく、自発的な行動の先で「気づくもの」で、キャリアの考え方もこれと似ているなと思っています。ずっと悩み続けて答えが出てくるものではないです。少しでも足が止まったら、行動を変えてみましょう。それは誰かに頼るでも、100人のキャリアについてインタビューを行なうでも、自分より就活に詳しい人の話を聞いてみるでも、なんでも良いと思うんです。

迷ったときやしんどいって思ったときには、今すぐにでも、何か自分の行動を変えてみましょう。それが「気づく」の第一歩です。

読んでくださったみなさまにとって、ちょっと先の未来にワクワクできる・行動を変えるきっかけになっいたらとても嬉しいです。

最後までお付き合いいただきありがとうございました!

株式会社Hajimari(旧:株式会社ITプロパートナーズ)では一緒に働く仲間を募集しています
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