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HRメガベンチャーから、さらなる成長機会を求め、転職に踏み切った28歳女子の話

みなさま、こんにちは!
ITプロパートナーズにてエージェントを務めています、
岡本と申します!

昨年の11月に転職をして、はや5ヶ月目、、、
前職では、自身の望んだ海外事業部に行けて、
周りからすると順風満帆に見えたキャリアだったのですが、

そんな私がなぜ転職をすることになったのか。
この機会にお話できればと思います。

20代後半に差し掛かり、
結婚・出産など、ライフイベントを控える中で、
仕事のキャリアに漠然と不安を抱えている同世代の女性の
背中を押せるきっかけに少しでもなれたらな、と思います。


《本日のアジェンダ》
1.幼少期
2.中学校〜人生のターニングポイント1
3.大学生〜人生のターニングポイント2
4. 社会人生活
5.今後何を目指していくか



【幼少期】

兄も、従兄弟も、、と親戚は男性ばかりだったこともあり、
私が産まれた時、
父から、世界三大美女のクレオパトラ、楊貴妃、小野小町に匹敵するほどの美女だ!
と言われていたようで。
そんな愛溢れる家庭で、すくすくと育ちました!笑
(今となっては、笑い話です。笑)

ぬいぐるみで遊ぶよりも、ザリガニ釣りやかけっこ!
といった具合で、
男の子に間違えられるぐらいワンパクな子供時代を過ごし、
兄の影響もあり、小学生から剣道を始めました。

地元の中学校が強く、全国大会や近畿大会にも出場をしている学校だったので、
大会に出る度に、表彰状やメダルを貰っていました。

今思うと、剣道を始めた本当のきっかけは、
兄の送り迎えで親に付いていったときに、
練習している女性の姿が、とてもかっこよくて、
「私もかっこいい女性になりたい!!!」と思ったからで。。。
小さい頃から、強いかっこいい女性に憧れていたのかもしれません。。


【中学生:人生でのターニングポイント1】

<父親の死>
中学生の時に、父が病気で亡くなり、
心にポッカリ穴が開いたような感覚でした。
周りには、心配されるのが嫌で、落ち込んでいる姿を見せないように、
すごく明るく振る舞っていたのを、今でも覚えています。

そんな生活の中で、
中学生ながら、

大切な人とずっと一緒にいれることが保証されてない中で、
どんな状況下でも、すぐお金を稼げる(自立できている)状態でいたい

と強く思うようになりました。

今でも、
父の分まで、2倍人生を楽しく生きよう!
私には人よりも2倍楽しく生きる権利があると思って、日々過ごしています。


【大学生:人生でのターニングポイント2】

<大学生時の異文化交流>
大学時代は、
ボランティアサークルで、バングラディシュやインドに行ったり、
APU(立命館アジア太平洋大学)に半年国内の交換留学に行ったり、
カナダのトロントに1年間留学に行ったりと、
外国の方と接する機会が多くあり、
毎日が刺激的で、充実した日々を送っていました。

特に印象に残っているのは、カナダへの留学。

(クラスのメンバー!韓国、サウジアラビア、ブラジル、ベネズエラ、ロシアなどすごく多国籍なクラスでした!)

2012年に留学をしたのですが、ちょうど震災の後で、
日本のことをすごく気にかけてくれる人が多かったり、
日本料理も大人気で、ラーメン屋さん・お寿司屋さん
めちゃくちゃ並んでて・・・衝撃でした。

「小さな島国なのに、こんなにも注目されている国なんだ・・・」
と感じる場面が多く、
この留学の経験から日本人でよかったなと思うことが多くなり、
将来は、
「何か日本の文化やおもてなしの心を発信できる仕事がしたい」
と、
漠然と思うようになりました。

【社会人生活】

先に挙げた、2つの出来事から、社会人になったらこんな会社で働きたいと思うようになりました。

・自立した人になりたい
 →若手から裁量を持って、働ける会社
・日本の文化を発信できるような人になりたい
 →海外事業部のある会社

そんな軸で私がファーストキャリアで選んだのは、HRのメガベンチャー。
配属されたのは新卒採用領域を支援する部署。
ここで3年過ごしました。

2年目は、仕事にのめり込むことで繁忙期のタイミングでM V Pが取れ、
3年目は、プレイングマネージャーとして、新卒を2名マネジメント。
活躍が認められ、4年目からは、入社当時より希望をしていた
海外事業部(クロスボーダー事業部)に異動をすることができました。

その部署では、月1回程度出張ベースで、
海外(主に韓国・台湾・ベトナム)に渡航し、
ビジネスレベルの日本語が話せる日本就職希望者と、
外国籍を採用したい企業を、マッチングするサービスを展開していました。

(台湾にて、採用後の内定者懇親会!)

社会貢献性の高いビジネスで、とてもやりがいはありました。
ただ、自分のやりたかったことができているのに、
漠然と今の環境に不安を感じていている自分がいて、、、、

自身が異動前に思い描いていた成長曲線と現状では、
"組織作り"や"新規事業の成長"の学びという観点で乖離があり、
噛み合っていないことに気付き、
成長しているという実感が湧かなくなってきたことに、危機感を感じていました。

また、
自分が社会人人生5年で培ってきた力は、

「本当に社外で通用するのか?」
「20代後半だからこそ、チャレンジしたい」
という気持ちが強くあり、退職をすることを決意しました。

(退職前にパシャリ!今でもとっても大好きな会社です!)

もう一段成長するために必要だと思っていたことは主に2つ。

一つ目、与えられたミッションを遂行するだけでなく、
自ら組織に必要なミッションを策定でき、
それをクリアするための動きを「この人を追い越したい!」と思える仲間と切磋琢磨できること。

二つ目、
会社の看板を背負うことなく、私自身が社会でやっていけるような、
自立した姿を目指していける環境。

そんな私が、ITプロに入社を決めたのは、、
企業理念である
「自立した人材を増やし、新しい仕事文化を作る」
という理念に深く共感し、
当事者としてその世界観を体現しすることができると感じたため。

合わせて、兼務文化
(メインミッションの他、個人のwillに合わせて別のミッションに挑戦できるという文化があります)
で多くの経験を積むことで、
スピード感を持って成長できる環境があると感じたためでした。

※たまたま大学の先輩が在籍していて、会社の色々な話を聞けたのは、すごく大きかったです!
▼先輩(田中)の入社ブログです!
https://www.wantedly.com/companies/itpropartners/post_articles/106175



今後何を目指していくか】

<ITプロパートナーズで何を目指していくか>
今は大阪にて、大阪支社の立ち上げメンバーとして働いています。

社会人になってから、ずっと東京でしか営業をしてこなかったため、
大阪で営業することの難しさをひしひしと感じております・・・!
(こんなに苦戦すると思ってもいませんでした。笑)

ただ、すごくワクワクしている自分もいて。
大阪社は設立されてからまだ1年、社員3名、インターン2名という環境のため、
支社を安定させるために営業以外にも色々なことをしなくてはいけません。

この「しなくてはいけない」という強制力のある環境が、
逆に自身の成長をサポートしてくれていると感じています。

東京でのビジネスモデルをそのまま展開しようとしても、なかなか通用しない。
そんな大阪で、今後は大阪発の新規ビジネスを創出して、
関西からもITプロを盛り上げていきたいなと奮起しています。
大阪支社の将来を担えるように、今後も精進していきます!



<プライベートでは?>
仕事に全力な私ですが、実は趣味にも力を入れていて、
大学生からお料理教室に通っています。
(気が付いたら、料理教室を自分で開けるライセンスをとっていました。笑) 

和食が大好きで、家でもよく作ったりするため、
将来的に、自分が日本にいるならインバウンド旅行客向けの日本料理教室を開いたり、
海外に住むチャンスがあれば、現地で日本料理の教室を開いたり、、、
日本の文化やおもてなしの心を広げられるきっかけを自分の手で作れればな、
と漠然と考えている段階です。

仕事もプライベートもどちらも全力で、
自分の未来を切り開いていけるように今後も頑張ります!

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